マリア・ヴァルトルタの著作が最近再び
(これで何度目?)バチカンによって退けられた
日本のキリスト教系の(カトリック系の、とは言わないでおこう)出版社「天使館」は、2024年11月1日、マリア・ヴァルトルタに特化したウェブサイトをスタートさせた。参照
ところが、それから程ない2025年2月22日、バチカンの教理省がマリア・ヴァルトルタの著作を超自然的なものとは認めない旨の声明を出した。(これが初めてではない筈だ。)
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教理省
DICASTERY FOR THE DOCTRINE OF THE FAITH
プレスリリース
Press Release
マリア・ヴァルトルタの著作について
Regarding the Writings of Maria Valtorta
聖座は、マリア・ヴァルトルタの著作『神人の詩』(現在は『私に啓示された福音』という題名で知られている)やその他の出版物など、彼女の著作に対する教会の立場を明確にするよう 、聖職者と信徒の両方から頻繁に要請を受けている。
The Holy See frequently receives requests from both clergy and laity for a clarification about the Church’s position on the writings of Maria Valtorta, such as her work, Il poema dell’Uomo Dio (The Poem of the Man-God), now known by the title, L’Evangelo come mi è stato rivelato (The Gospel as Revealed to Me), and other publications.
マリア・ヴァルトルタの著作に含まれる、あるいは、いずれにせよそれらの著作に帰せられる「幻視」「啓示」「メッセージ」は、超自然的な起源を持つものと見なすべきではないということが、繰り返し言われなければならない。むしろ、それらは著者がイエズス・キリストの生涯を独自の方法で物語るために用いた文学的表現形式に過ぎないと考えられるべきである。
It should be reiterated that alleged “visions”, “revelations,” and “messages” contained in the writings of Maria Valtorta—or, in any case, attributed to them—cannot be regarded as having a supernatural origin. Rather, they should be considered simply as literary forms that the author used to narrate the life of Jesus Christ in her own way.
教会は、その長い伝統において、外典福音書やその他の類似の文書を規範として受け入れていない。なぜなら、教会はそれらを神の啓示によるものとは認めていないからである。教会はむしろ、霊感を受けた福音書の確かな読み方を基準とするものである。
In its long tradition, the Church does not accept as normative the Apocryphal Gospels and other similar texts since it does not recognize them as divinely inspired. Instead, the Church refers back to the sure reading of the inspired Gospels.
バチカン市国、2025年2月22日
Vatican City, 22 February 2025
教理省はこのように、ヴァルトルタの著作は「超自然的な起源」を持つものと見なすべきではない、と言う。しかし私は、別の意味で、ヴァルトルタの著作は「超自然的な起源」を持つ、と思う。
「超自然」には二つある
教会は通常、この「超自然的 supernatural」という言葉を「神由来の」「神が介入した」という意味でしか使わない。
ジョン・ハードン編『カトリック小事典』
(エンデルレ書店)より
pp. 217-218
超自然的啓示(ちょうしぜんてきけいじ)
supernatural revelation
神からの真理の伝達。その伝達方法も伝達内容も人間性の能力を超える。啓示はその客観的源において超自然的である。すなわち,宇宙が自然的手段によって創造主について知らせる以上のものを啓示は知らせる。また,主観的能力において超自然的であって,この能力によって人は神が啓示しようと望むことを知る。啓示の内容および本質が超自然的なものもある。たとえば,神が三位一体や受肉という神秘を啓示するときである。さらに,神が自分自身を人間に知らせるために用いる方法は常に超自然的なものである。神が自分の使節として選んだ人物である預言者に超自然的な方法で伝えたことを理解するために奇跡的照明が与えられる。いずれの場合にも、啓示を受け入れるためには,人がそれを信じることができるようにする超自然の恩恵の働きかけを必要とする。
p. 218
超自然的秩序(ちょうしぜんてきちつじょ)
supernatural order
天国という目標およびその目標に達するために神が定めたすべての手段の総体。人間性だけの能力をはるかに超える。
しかし、それでも、かろうじて(?)「超自然」にはもう一つあることも認めている。
ジョン・ハードン編『カトリック小事典』
(エンデルレ書店)より
p. 218
超自然的伝言(ちょうしぜんてきでんごん)
locutio
耳や想像力,あるいは直接に知性に伝えられる一種の超自然的伝言。伝達方法が超自然的なもの,すなわち通常の自然法則を超える方法によるものである。そのため,悪霊によるにせの伝言もありうるが,論理の一貫性や内容の明白さが欠けていたり,その伝言を受けた者を不安にしたり,その伝言を聞く人々に悪い影響を与えたりすることから,にせだとわかる。(語源はラテン語の動詞 loqui 「話す,語る」からの名詞 locutio 「話すこと、談話」)。
しかし、もう一度言うが、教会は通常は、この「超自然的」という言葉を「神由来の」「神が介入した」という意味でしか使わないのである。これが問題だ。「超自然」と聞いて直ぐに「神由来」と「悪魔由来」の両方を思うくらいでなければ、私たちの「識別」は緩くなる。
バチカンは「ヴァルトルタの著作には超自然的な起源は認められない」と言う。対してヴァルトルタの支持者たちは「超自然の介入がなければ、この女性にこのようなものを書くことは不可能だったろう」と言う。これでは、両者はいつまでも平行線のままである。
私自身は、ヴァルトルタの著作は「超自然的な起源」を持つと思う。而して、その「超自然的な起源」は「悪魔」だと思う。
初めからそう思っていたわけではない、昔からそう思っていたわけではない(うっすらと疑ってはいたが)。ごくごく最近、そのような「確信」にようやく至ることができたのである。今回のこのシリーズ記事は、大ゲサのようだが、その報告書である。