天主が人間に何かを負っているかのような言い振り
私は、前回取り上げさせてもらった Bro. James(サレジオ会)は私たちのために良い仕事をしてくれたと思う。彼の文章は今ではすっかり archive.org のキャッシュとしてしか残っていないけれども。
彼は、彼の代表作、文字数が最も多い「批評:『神人の詩』 - メジュゴリエの福音書」を書いた1988年当時、サレジオ会修道士としてサンフランシスコにいて(参照)、同地の「Saints Peter and Paul Church」に駐在していたそうである(参照)。現在、1988年から38年が経過している。今も健在でおられるのか、どうか。
彼は確かに、良い信仰の感覚を持っていたようである。今回の本題に入る前に、彼が「批評」の冒頭で書いた序文の一節をここに置いておく。
jloughnan.tripod.com (web.archive.org)
汚れなき御母、聖マリア、キリスト信者の助けであるあなた様を、私たちはお愛し申し上げています! あなた様は私たちの母です! この涙の谷で、私たちは嘆き悲しみ、泣きながらあなた様に叫んでいます。どうか私たちをお助け下さい! 『神人の詩』は、全くの偽りで、真実とはかけ離れているにかかわらず、私の兄弟姉妹は、それをあなた様の生涯の歴史、そして私たちの主の生涯の歴史として受け入れています。私たちは自分たちが賢いと思っていました! これらの本を読んだ後、ブルーアーミー(現 The World Apostolate of Fatima)の複数の支部、Daughters of Saint Paul〔聖パウロ女子修道会〕、聖ヨゼフ・ワークショップ、そしてその他多くのカトリック聖品店が、それらの本を販売していると聞いてから、私の心と魂はあなた様に向けられるばかりです! 私の意図は、善行を行うことで知られるカトリック教徒たちによってこのくだらないものが広められていることを示すために、彼らを嘲笑することではありません。かつては「敵がこれをやったのだ!」と言うことができました。〔しかし〕今や私たちの問題は、私たち自身の内部から生じているのです! どうか私たちをお助けください!〔…〕
*
Bro. James の記事からの引用は、前回で一応、終えた筈だった。しかし、申し訳ない、ここに一つだけ追加する。
私は本日のこの記事の表題を「天主が人間に何かを負っているかのような言い振り」とした。もしヴァルトルタの『詩』がそのようなものだったら、確かに、Bro. James の言うように、「くだらないもの」と言われるべきだろう。
|
||
|---|---|---|
|
Vのイエズス:「私のために祈ってください。私にはあなた方の祈りが必要です… それは〔私への〕愛撫となり…〔私への〕愛の告白となるでしょう… それは、私が『人類全体が悪魔でできている』と言い出すほどにならないように、私を助けてくれるでしょう。〔…〕 V's Jesus: «Pray for Me. I will need your prayers... They will be caresses... They will be professions of love... They will help Me, that I may not go to the extent of saying: “The whole of Mankind is made of demons”...〔…〕 さようなら、ヨハネ! さよならのキスをして… 泣かないで… もしこの別れがあなたと私にとってどれほど良いことをもたらすかを前もって見ていなかったら、私の体から肉片を引きちぎってでも、私のそばにあなたを置いていたことでしょう。〔…〕」 Goodbye, John! Kiss Me goodbye... Do not weep... I would have kept you with Me, at the cost of tearing bits of flesh off My body, had I not seen all the good that this separation will bring about both for you and for Me.〔…〕» |
この章の表題は「315. 二人の弟子との別れ」である。二人の弟子とは「エン・ドルのヨハネ」と「シンティケ」である。前者はつまり、使徒ヨハネではなく、後者は女性である。「地上で会うのはこれが最後」というような悲しげな別れの描写なので(英語、Google翻訳)、主の御受難が間近に迫った時点での別れかと思いきや、そうでもない。この章は全5巻からなる旧版の第3巻にある。
|
|
私のために祈ってください。私にはあなた方の祈りが必要です。 |
|
これでは私たちと同じである。
これは本当の「イエズス様」だろうか? そうであるはずがない。イエズス様は「天主」だから、ご自分のために人間の祈りを「必要とする」などということはあり得ない。
|
|
それ〔あなた方の祈り〕は〔私への〕愛撫となり…〔私への〕愛の告白となるでしょう… |
|
また「愛撫」か。まあ、いいとして・・・確かに信者がイエズス様の御為を思って何事かを祈れば、それは嬉しくお思いになるかも知れない。イエズス様にとって「慰め」となるかも知れない。しかしこのことは、やはり「必要」ということとは違う。
イエズス様はゲッセマネの園で弟子たちに「目を覚まして祈りなさい」とお命じになったけれど、これは「私のために祈って欲しい」ということではなかっただろう(語尾を推測形にする必要はないと思われる)。彼は、「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈りなさい。心ははやっていても、肉体は弱いものだ」等とおおせられた(マルコ 14:37~、ルカ 22:46、マタイ 26:36~)。しかしこれは「私のために祈ってください」ということではなかった。これから御自身の御受難に必然的に巻き込まれることになるだろう弟子たちを強めるためためだった。
また、それ以前、彼が御受難の予告をなさったのに対しペトロが「とんでもないことです」と言った時、「サタンよ、退け。あなたの思いは、神のものではなく、人間のものである」とおっしゃったイエズス様である。
要するに、彼の覚悟というものは人間的な弱いものではなく、従って、「私のために祈ってください」などと言い出すようなものではなかったのである。
悪魔はこのように、イエズス様のイメージを「人間的で柔弱」なものに改変しているのである。
そんな彼が、他所では、「人間的な埃が真理の純粋さを汚してしまったのだ」などと、いけしゃあしゃあと言うのである。
|
|
それ〔あなた方の祈り〕は、私が『人類全体が悪魔でできている』と言い出すほどにならないように、私を助けてくれるでしょう。 |
|
何なんだ、この「天主」は。呆れるばかり。
しかし、この世には、失礼ながら「分からず屋」も多いようだから、少し説明させてもらうと──
第一には、この「イエズス」は普段は「人類全体が悪魔でできている」とは思っていないが、地上であまりに多くの悪意に出会うので、心乱れるあまり、自分がいつか「人類全体が悪魔でできている」と言い出さないかと不安である、ということである。そのような告白、内面の打ち明けなのである。
そして第二には、「自分がそうならないためには人間の祈りが必要だ、と私は感じている」という、これも彼の告白、内面の打ち明けである。
しかし──混乱するなかれ──そのように告白し、内面を打ち明けている者は、本当はどこにも存在しないのである。何故なら、これら全ては悪魔の「創作」だからである。「幻灯」だからである。
さて、本当のイエズス様はと云えば、「人類全体が悪魔でできていない」と、よくご存知である。否、「よく」も何もありはしない。彼は「天主」として、そんなことは当り前の事としてご存知である。これは「認識」の事である。いかに地上において人間たちの悪意に晒され、心が傷つかれようとも、彼のこの「認識」は変わらない。「感情」の波立ちによって「認識」まで揺らぐなどということは、人間にはあっても「天主」にはない。
|
|
もしこの別れがあなたと私にとってどれほど良いことをもたらすかを前もって見ていなかったら、私の体から肉片を引きちぎってでも、私のそばにあなたを置いていたことでしょう。 |
|
「私の体から肉片を引きちぎってでも」とは、何だか気の触れたような言い方である。
これが仮に「愛」と呼び得るとしても、この種の「愛」は良くない。天主様の教える「愛」は「愛着」ではない。しかし、この「イエズス」の言葉は「愛着」を、「執着」を、そしてそれさえ超えたなにか尋常でないもの、「狂気」めいたものさえ感じさせる。
人は、自分が仰ぎ見る誰かがちょっと理解不能なことを言った時、「おかしなことを言う」とは思わずに、「このお方は私の理解が及ばない何か深遠なことを言っているのかも知れない」などと考えがちである。しかしである、天使館などのヴァルトルタ擁護の皆さん、あなた方はここで「イエズス様の内面は測り難い」などと言わずに、この「イエズス」は退けた方がいいと、いい加減気づくべきである。
これ ↓ に巻き込まれるなかれ。

マリア・ディバイン・マーシー(MDM)のことも思い出しておこう。その「イエズス」はこう言ったのである。
わが最愛の娘よ、わが聖心と極めて緊密に結ばれたわが貴重なる支持者達(followers)が私に示してくれている愛を、私はどんなに喜んでいることだろう。私は苦しみの只中にありながらも、その愛によって私をこのように喜ばせてくれるわが忠実なる子供達のことを大いに嬉しく思っている。彼らは、私の軍隊を導くに必要な力を私に与えてくれる光である(They are the light that bring Me the strength needed to lead My army)。 (参照、archive.org)
イエズス様は「あなたたちは世の光である」(マタイ 5:14)とおおせられたが、「MDM のイエズス」はそれに追加して「あなたたちは私にとっても光である」かのように言うのである。これは天主の物の言い方ではない。力と光の源泉である彼が、こんな言い方をするはずがない。
「Vのイエズス」は「私のために祈ってください。私にはあなた方の祈りが必要です」と言い、「MDM のイエズス」は「あなたたちは私にとっても光である」かのように言う。天主が人間に何かを負っている(依存している)かのような言い振りである。しかし、それは真実ではない。彼らは両者とも、天主に関してひどい「嘘」を言う者たちである。
さて、「嘘つき」の親分は誰ですか。 あくま ! \(‘0‘) 正解!